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第一小隊は先頭目標を狙え!

主に第二次世界大戦関連のお話などを、つらつらと。

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第1000突撃臼砲中隊のシュトルムティーガー突撃臼砲戦車



 マクシム・コロミーエツ著「1945年のドイツ国防軍戦車部隊」p103には、第1000突撃臼砲中隊のシュトルムティーガー突撃臼砲戦車4両が1944年12月に西部戦線に向かったと記述されている。
 その他に、第1001突撃臼砲中隊のシュトルムティーガー突撃臼砲戦車6両が1944年11月に西部戦線に送られ、また、第1002突撃臼砲中隊のシュトルムティーガー突撃臼砲戦車6両が1944年12月に西部戦線に送られた、との情報も記載されている(いずれの突撃臼砲中隊もアルデンヌ戦に投入された)。以上の3つの突撃臼砲中隊のシュトルムティーガー突撃臼砲戦車の数を合計すると4+6+6で16両となる。
 ここで、第1000突撃臼砲中隊のシュトルムティーガー突撃臼砲戦車の数だけ4両で、他の突撃臼砲中隊より配備数が2両少ないのは何故なのか?
 シュトルムティーガー突撃臼砲戦車の総生産数は、アルケット社に於いてティーガー戦車から改装された18両だとされる(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC)。その改装作業は1944年12月までに終了している。とすれば18-16=2で、第1000突撃臼砲中隊に、あと2両回せたはずだが?
 けれども、前出のwikipediaの情報を読むと「第1号車はその後、東部戦線へ送られ、実験任務に投入された。」と記載されている。なるほどなるほど。
 では、残りの1両はどこか?
 これも前出のwikipediaの情報だが、第1000突撃臼砲中隊はワルシャワ蜂起の最中、1944年8月13日に2両で編成され、初めて実戦投入されたという。アルデンヌ戦の為に西部戦線へ向かう1944年12月より前の話である。そうだとすると、ワルシャワ蜂起を鎮圧する為、2両だけを実戦投入した結果、その内の1両が戦闘消耗で失われた、あるいは、整備が必要な状態となったということか?
 もしそうなら、1944年12月の時点で、第1000突撃臼砲中隊のシュトルムティーガー突撃臼砲戦車が4両であることも説明できる。つまり、1両は実験任務で東部戦線へ送られ、後1両が戦闘消耗状態。
 これで辻褄が合う・・・あれれ・・・。
 もう一度「1945年のドイツ国防軍戦車部隊」p103を見たところ、重大な事実を発見した。第1001突撃臼砲中隊と第1002突撃臼砲中隊のシュトルムティーガー突撃臼砲戦車の数について、小さく「4両の間違いである。」と訳注がある。
 そうすると4+4+4、3つの突撃臼砲中隊で12両?総生産数18両からすると数が余ってしまうのだが・・・改装したシュトルムティーガー突撃臼砲戦車の一部を部隊配備しないまま、予備として後方留置したと言う事なのだろうか?末期のドイツ軍に、そんな余裕があるとも思えない。そもそも、そんな事をすれば、シュトルムティーガー突撃臼砲戦車の投入を直々に指示した総統命令の違反になるのではないか。
「1945年のドイツ国防軍戦車部隊」p103の記載、第1001突撃臼砲中隊および第1002突撃臼砲中隊のシュトルムティーガー突撃臼砲戦車の数を、それぞれ4両とする訳注は、本当に正しいのか?




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