高橋慶史の「ラスト・オブ・カンプグルッペ」p313に、1945年4月9日の時点でエレファント駆逐戦車が第71戦車猟兵大隊に2両配備されていたと記述されている。
この2両のエレファント駆逐戦車は、どういう履歴を辿って第71戦車猟兵大隊に配備されたのか。
第二次世界大戦中、ドイツ軍で運用されたエレファント駆逐戦車は90両程度に過ぎない。当初、エレファント駆逐戦車は1943年2月に、第653重戦車駆逐大隊および第654重戦車駆逐大隊に、それぞれ45両ずつ配備された。
しかし戦闘によってエレファント駆逐戦車は次第に損耗。生産終了により新規補充はされなかったので数は漸減。1943年8月に第654重戦車駆逐大隊は残存するエレファント駆逐戦車15両を第653重戦車駆逐大隊に引き渡し、ヤークトパンターに装備改変している。この時点でエレファント駆逐戦車の装備部隊は、第653重戦車駆逐大隊のみと思われる。
その後、第653重戦車駆逐大隊の第1中隊(エレファント駆逐戦車11両装備)はイタリア戦線へ送られ、第2中隊と第3中隊(それぞれエレファント駆逐戦車14両装備)は東部戦線で戦うことになる。
東部戦線の第653重戦車駆逐大隊、エレファント駆逐戦車保有数は1944年8月の時点で14両に半減した。
1944年9月には、第653重戦車駆逐大隊の第3中隊は第2中隊に編合され、更にイタリアから帰還した第1中隊と装備車両を失った第3中隊とで、ヤークトティーガー装備の第653重戦車駆逐大隊として改編されることとなる。
残余のエレファント駆逐戦車は、第653重戦車駆逐大隊の第2中隊を基幹とし、再編された第614重戦車駆逐中隊で独立運用されたとされる。同中隊は1945年4月22日の時点で4両のエレファント駆逐戦車を保有していた。
この経過からすると、第614重戦車駆逐中隊から第71戦車猟兵大隊にエレファント駆逐戦車が流れたとは考えにくい。破損して修理中であったエレファント駆逐戦車が、もとの重戦車駆逐大隊へ戻されずに、他の部隊へ回されるような事があったのだろうか?
既に生産停止となっていたエレファント駆逐戦車が新たに湧いてくる筈も無く、第71戦車猟兵大隊のエレファント駆逐戦車がどこから来たのか、謎なのである。
第71戦車猟兵大隊が、2両のエレファント駆逐戦車を保有していたと言うのは、事実なのだろうか?
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